Sokakkoii宇宙showsライブツアーが終わった後に(全通したチビママの今の感想)
あんなに楽しみにしていたライブが終わってしまった。
チケットを手にしてから2年。
仕事も辞めたし、母も亡くなった。
お金も頑張って貯めたし、飼い犬である老犬チビの介護は家族に任せて良いという同意も何とか得て、遠征するには何の支障も無くなっていた。
こんなチャンスは二度とないかもしれない。
いや、もう一度、二度三度あって欲しいけど。
ライブの一瞬、一瞬に今自分がいられる奇跡が信じられないくらい、何度も夢じゃないかと確かめたい衝動に駆られた。
ツアー期間中は、朝、目覚めると、「もう、こんなに終わってしまったのか」と、アドベントカレンダーをめくりながら愕然とした。
時間よ、なぜゆっくり進んでくれないのかと恨みもした。
きっと、すぐ、「あの時は素晴らしかった、輝いていた」と懐かしく思い出す日が来てしまうのかとぼんやり思いながら、少し悲しかった。
ライブが終わってしまった翌日、私は次に何を楽しみに生きていけば良いのか、指標を失ってしまったかのような喪失感に見舞われた。
だから、あまり考えたり、感じたりしないように何かに没頭したいと思った。
小沢健二さんがこんなに好きで良かったのか、悪かったのか分からなくなった。
ほどほど、ができない太刀なのである。
もう人生の先が見えてきた歳になった。
あと何回、輝けたと思える時があるのか?
Sokakkoii宇宙showsライブが終わってしまった今、そんなことばかり考えてる。
慰めてしまわずに。
2021年3月11日 目覚める寸前の夢の話
第二回『うさぎ!』を読む会 感想
小沢健二氏が9月6日に『うさぎ!』新曲「フクロウの声が聞こえる」をリリースし、絵本「アイスクリームが溶けてしまう前に」を発売して間もない9月10日に前回と同じ場所宮代町進修館2階ロビーにて第2回目を行いました。
今回は3名の参加を頂き私を含め総勢4名で行いました。メンバー構成は前回参加いただいた1名、「オザカラ」といって小沢健二の曲ばかりカラオケで歌うグループで知り合った1名、東京下北沢「気流舎」での「『うさぎ!』を読む会」で知り合った1名と私です。第2話は第1話に続き、筆者小沢氏の熱い思いが文章の中のところどころにちりばめられた勢いのある文章です。きららという女の子が裸足でいるという話題から”「まわりの人みんながやっていることは、正しいことにちがいない」と思う人の性質について”警鐘を鳴らしている部分。豊かな国の人々が灰色によって’物は直さないで買う’ということに慣らされてしまっていること。人々がそうするように灰色は'テレ・ヴィジョン’を使って人々の思考を操作しているということ。でも灰色の陰謀により虐げられていた民衆の力が結集して、決して壊すことができないと思わされてきた仕組みを壊してきた歴史もあったこと。だから、今豊かな国にいる私たちが毎日の生活でできることを考えてみようということ。選挙、スーパーでの食品等の買い物、テレビや新聞やネットで流れるニュース等を。
この話の最後から2行目「人の社会をなおそう…。星をなおそう…。」この一行のためこの連載『うさぎ!』は書かれ、またこの一行こそが現在の小沢健二氏の目覚しい活動の根底に流れている強い意志の表れだと思いました。
今回も前回と同様、参加者が順番に音読し、ここに書かれている内容について自分の生活の中から感じたことをそれぞれが話していきました。ここに辿り着いてくるメンバーはきっと仕事、家庭、世間、どんな切り口からでも些細なことに疑問を投げかけ、独自に答えを出して生活してこられた方々なので、この『うさぎ!』の文章をそれほど抵抗なく受け入れられているようでした。私は身近な生活の中で自分が「これは変じゃない?」と思っていても、いつも周囲にいる家族や近所の友人などには気軽に言えないことでも、ちょっと離れた環境に住むあまり知り過ぎない友人だからこそ気軽に言える場所があるということがとても大事なことだと思っています。私がこの『うさぎ!』を読む会を続けていきたい理由の一つは、『うさぎ!』という物語がその身近な疑問をいろんな角度から私たちに問いかけてくれるとても良い題材を与えてくれるからです。
終了後、近くのカラオケ店で’オザカラ’を行い、あの新曲「フクロウの声が聞こえる」もあらかじめ録音しておいたスマホにマイクを近づけて歌いました。’uh’や’サオリ’や’そう’も入れた合唱は音が高くて大変でした。今回は参加頂いた皆さんから次回も参加したいとの言葉も頂きとても励みになりました。今後も『うさぎ!』を読むことを中心に、総合アーティスト&プロデューサー小沢健二にまつわる企画も少しずつ加えていきながら、自分も参加される皆さんも楽しく続けていけるようにこの会を育てて生きたいと思っています。また、'小沢健二'というキーワードが巡り会わせてくれたこのかけがえの無いご縁も大切にしていきたいと思っています。
つたないこの集いに遠くから足を運んでくださった参加者の皆様、本当にありがとうございました。そして今後も宜しくお願いいたします。
小沢健二と寅さん
先日、あるオザケンファンのイベント東京・湯島の夜学Bar brat ※各種奨学制度ありに行ってきた。そこは小沢健二の歌詞を読んで語り合うという内容の集まりで、この日は「僕らが旅に出る理由」と「流動体について」という曲の歌詞が取り上げられていた。
その中で、「僕旅」(以下「僕らが旅に出る理由」を「僕旅」と略)の話をしながら、マスター(会場となっている場所がバー)がホワイトボードに地図を書いて歌詞に出てくる場所を確認していた時、ふと私の頭の中に、東京を代表するもう一人の有名人が浮かんできた。映画「男はつらいよ」の車寅次郎である。小沢健二=東京23区の山の手側代表と考えると寅さん=東京23区の下町側代表と言えるのではないか。今回は色んな角度からこの二人を比べてみよう。
愛称といえば、オザケン↔︎寅さん、ぶらつく土手といえば、多摩川土手↔︎荒川土手。ファッションといえば、ベレー帽+ボーダー+ギター↔︎パナマ帽+腹巻+トランクバッグ。口上 といえば、「家族や友人たちと…」などいくつかの曲の途中で語りが入る↔︎「結構毛だらけ猫灰だらけ…」などいくつもの路上販売文句。ふらっと旅に出るといえば、世界中を飛行機で↔︎日本中を鈍行列車で。渋谷の王子様↔︎葛飾柴又のフーテン。アーバン(都会)ブルース(外国の歌)が似合う↔︎演歌や民謡や童謡が似合う、スマートでおしゃれでカッコイイ↔︎ダサカッコイイ、仔猫ちゃん↔︎マドンナ、高学歴のインテリで幅広い知識に裏付けされた話しが面白い↔︎学歴不詳だが経験に基づく知識が豊富で交友関係が広く人情話しが面白い、柴又には寅さんの銅像↔︎渋谷(駅前はあのハチ公が鎮座してるので、)のクラブクワトロのエントランス付近にいつか小沢健二のモニュメント
(コレではなく、
コレ
でもなく、
ましてや
コレ
では絶対ないだろう。
多分、
コレか
コレ、
コレ
でもいいかな?)ができる日もくるのでは…と次々ときりがない。
しかし、こうやって二人を比較していると、また一つ小沢健二の凄いところを発見してしまった。それは、こんなに比べる要素がたくさんあり、どれをとってもブレなくカッチリはまるほどキャラが濃いのに、寅さんのように架空の人物ではなく、小沢健二は実在する人物であり、今なおそのキャラが進化中であるということである。ここまで書いてきて、さらに気が付いたことがある。そもそも彼はこのように型にはめられること自体、一番嫌がっていることなのかもしれないということだ。(絶対無いことだとは思うが、何かの間違いで小沢健二本人がこの拙文を目にするようなことがあったらなら、前もって謝っておきたい。「小沢君、ゴメンナサイ。」)なぜなら、「流動体について」なんて曲名を付けるくらい動いていること、固定されないことが好きだからだ。そして「流動体について」を聞いて誰もが考える、"流動体"とは何ぞや?その答えの一つに"流動体=小沢健二"も有りかなと思い始めた。置き換えてみると、「流動体について」=「小沢健二について 」となる。流動体とはその字のごとく流れ動いている物体。定住せず、定職につかず、いつも時代や社会と共に変化、進化し続けている小沢健二。あのダーウィンも言っている。「最も強い者が生き残るのではなく、最も賢い者が残るのでもない。 唯一生き残るのは変化する者である。 」と。現に小沢健二の音楽は、この激動の日本音楽界にあって20年以上生き残ってきた。しかし流動体である彼の中には一つだけずっと変わらない姿勢がある。それは"本当のこと"を探求し続けているということだ。もし、小沢健二、その人に会うことがあったらぜひ一度こう聞いてみたい。「"本当のこと"は分かりましたか?」と。
『うさぎ!』第1話の感想
今、私たちの暮らしているこの国の生活と人々の精神は筆者が「灰色」と表現する、お金を、大きくすることが美徳という概念にすっかり支配され、「灰色」の思い通りにしていかなければ一日たりとも生活が立ち行かないほどです。それは、誰もがどこか心や体を病んだ代償として手に入れている生活です。本当に今、私たちは幸せなのでしょうか?、本当に豊かなのでしょうか?
ここに登場する、心の専門家の話、精神安定剤の話、ホテルの話、若者の話、工場の労働者の話、水の話、どれをとっても毎日の私たちの日常生活の中に当てはまる具体例をいくつでも挙げられる話です。でもほどんどの人々がそれを不思議とも、変とも気づかず流されて暮らしています。そこに小沢君が警鐘を鳴らすべく、誰にでも分かるやさしい言葉で、しかも「子どもと昔話」という季刊誌に違和感なく掲載できるように「昔むかし、あるところに、沼の原という町がありました…」という語り口で始まる書き物を連載し始めたのです。昔話が時代を超えて人から人へ語り伝えられていくように、この『うさぎ!』というお話も口伝えで語り継がれていって欲しいという小沢君の願い込められているのでしょう。大げさに言えば『うさぎ!』 連載は小沢君の「世直し」活動の一つだと思います。最近のメディアでの発言にもこの『うさぎ!』 に通じる一貫した「世直し」活動と思われる言葉が読み取れます。それは、「間違いに気づいたら勇気を持って正していこう」「言葉を使って世の中を変えていこう」、、、。特に若い世代へこれらの重大な「世直し」メッセージを伝え、繋げていくため、大衆受けする音楽を引っさげて活動を再開したのではと私なりに勝手に解釈しています。これらの「世直し」メッセージがわが国の隅々まで浸透するには相当の時間とエネルギーが必要です。その活動の微々たる一助になるべく 細々とでも『うさぎ!』を読む会を続けていけたらと思っています。
第一回『うさぎ!』を読む会 感想
【『うさぎ!』を読む会を開催するまで】
初めて『うさぎ!』を読んだのは、2014年3月20日(木)放送のフジテレビ系「笑っていいとも!」に小沢君(私の中で一番しっくりくる呼び名です)が出演されたすぐ後でした。16年前と変わらず素敵な姿と歌とお喋りにすっかり魅了され、かつてファンだった頃の小沢君への熱い想いが再燃いたしました。その後、小沢君が私たちの前から消えてた間にどんな活動をしていたのか、早速パソコンで調べてみました。そこで知った『うさぎ!』 。小沢君、こんな事を考えて暮らしていたのか、と思いつつ読み進めていくと、「あれっ?これ私もぼんやりと何かが変⁉︎と感じていた事だ。」私はぼんやりとこの[変]を感じながらも毎日流されるしかなかったけど、小沢君にははっきり、くっきりと[変]が分かってこうやって書かずにはいられなかったのだと感じました。こうやって文字として目にすることよって自分の考えにも輪郭が明確に見えてきて誰かとこの思いを共有したい、しなければという欲求に変わっていきました。ネットで「うさぎ!を読む会」を見つけましたがどこも自分の生活ペースに合わない所ばかり。一旦は諦めていきましたが、小沢君の、シングル発売と同時に今なら自分のペースで始めても賛同してくれる人がいるかもしれないと思い、一念発起して会を始める事にいたしました。いざ始めるとなると、どんな風に?と不安が募るばかり。そこで老舗の下北沢の気流舎の「『うさぎ!』を読む会 」へお邪魔させていただきました。そこで埼玉でやりたいと口に出したこと、またそこに参加していた皆さんから背中を押して貰ったことで一念発起。ツィッターとミクシィで告知。結果、お一人に方に参加いただきました。
【『うさぎ!』を読む会を開催して】
開催してみて感じた事は、まず一言で言えば小沢君の存在の大きさです。これまで面識のまったくない者同士が、“小沢健二”という共通語でお互いに信じあい通じ合い時間を共有できたという感動。この時間を、空間を与えてくれた小沢君にまず感謝したいと思います。そして、つたないこの集いに遠くから足を運んでくださった参加者の方、本当にありがとうございました。
『うさぎ!』を読む会in埼玉
小沢健二さんが執筆する「子どもと昔話」にて連載中の小説『うさぎ!』の第1話を皆さんと読みたいと思います。お持ちでない方は、コピーします。
コピー代:200円
小沢ファンもそうでない方もお気軽にご参加下さい。
参加費:無料 申込:不要
とき:5月21日(日)PM2:00~PM5:00
場所:宮代町立 コミュニティセンター 進修館 2階ロビー
(「うさぎ!」にぴったりな素敵な建物です)
http://www.shinsyukan.or.jp/index.html
所在地:埼玉県南埼玉郡宮代町笠原1-1-1
アクセス:東武スカイツリーライン 東武動物公園駅 西口から徒歩5分 [ 詳細はこちら ]
駐車場:45台(こちらはすぐ満車になってしまいますのでなるべく電車でお越し下さい。)
ここの2階ロビーは個室ではなくオープンスペースなので、目印としてうさぎっぽい縫いぐるみ(実はポケモンのピチュー)をテーブルに置いてみます。
↓これ
もちろん、私はボーダー着て行きます。
持ち込み自由なので、各自お飲物やお菓子などご持参下さい。
差入れも大歓迎!